「人間の身体は、押しつぶされるよりは、引っ張られるほうに、よほど耐えるのだそうですよ」

黒木の伸長台。両端に手回しハンドル、中央に革帯。Valkyria 水彩風技術スケッチ

「人間の身体は、押しつぶされるよりは、引っ張られるほうに、よほど耐えるのだそうですよ」

――トトノさんに、いつぞや教えていただいた、つかいみちのない知恵です。

* * *

ご主人様の御指示で、わたしは、地下の倉庫から、長い長い、木製の台を、運び出すことになりました。

倉庫の奥に、布をかぶせて、しまわれていたお品です。

布をはずしますと、まるで、寝台のような、けれど、寝台とは、ずいぶんと違うところもある、独特の意匠が現れました。

両端に、ハンドル。

中央に、何本かの革帯。

全体に染み込んでいるのは、長年の使用の痕でしょうか。

* * *

トトノさんが、新しいお品を納めてくださる前に、古いお品のお手入れに、いらしてくださいました。

お屋敷の使用人のなかで、このお品のお手入れを任されるのは、わたしです。

――どうしてわたしなのですか、と、最初は、お尋ねしたことがあります。

ご主人様は、こう、お答えになりました。

――お前は、表情に出ない子だからだよ。

なるほど、と、わたしは、思いました。

このお品をお手入れするのに、表情に出てしまっては、いけないということなのでしょう。

* * *

トトノさんが、革帯の留め金を、ひとつひとつ、お確かめになりながら、おっしゃられました。

――押しつぶされるよりは、引っ張られるほうに、ずいぶんと耐えるのだそうですよ。

――同じ重さで御腹を押しつぶされるよりも、ずっと長く、ずっと辛抱できるのだそうです。

――ですから、こういうお品は、急がず、ゆっくりと、引かれるのです。

わたしは、おうかがいしながら、その知恵を、心の手帖に、書き留めました。

書き留めて、すぐに、思ったのです。

この知恵は、わたしの一生のうちで、いったい、どんなときに、お役に立つのでしょう。

* * *

トトノさんは、まじめなお顔で、こう、つづけられました。

――ですから、お嬢さんも、お困りのときには、思い出してください。

――人間というものは、引っ張られることには、強いのです。

わたしは、おうなずきしました。

おそらく、わたしが、引っ張られるような事態に、いつか、なってしまった場合のことを、お考えくださっているのだと、思いました。

そういうところが、トトノさんの、お優しいところなのです。

いずれは、わたしも、このお品のお世話に、なってしまうかもしれない。

ご主人様の御気分しだいで、そのお話は、十分にあり得ることなのです。

トトノさんは、それを、ご存じです。

ご存じだから、わたしに、こうして、知恵を、お授けくださっているのです。

つかいみちのない知恵、と、トトノさんは、おっしゃられましたが。

わたしには、それが、トトノさんなりの、御指南のように、思えました。

* * *

その夜、お品の上に、新しいお友だちが、お休みになりました。

ハンドルは、ご主人様御自身が、お回しになります。

わたしの役目は、お友だちの汗をぬぐい、お水を、お口元にお運びすることでした。

そうしているあいだ、わたしは、ずっと、トトノさんの御言葉を、思い返しておりました。

人間というものは、引っ張られることには、強い。

たしかに、お友だちは、長く、長く、辛抱しておられました。

ご主人様は、お楽しみのようでした。

そして、わたしは、表情を、変えないまま、汗をぬぐい、お水を、お運びしました。

ご主人様の御指示どおりに。

トトノさんの、御指南とは、無関係に。

黒木の伸長台。両端に手回しハンドル、中央に革帯。Valkyria 水彩風技術スケッチ

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